教室の歴史
第二外科が築き上げてきたこれまでの歴史
年表
第二外科関連 | 琉球大学医学部関連、他 | |
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1965 | 佐藤栄作首相来沖。「沖縄の祖国復帰が実現しない限り日本の戦後は終わっていない。」琉球大学に医学部を設置することを明言。 | |
1968 | 5月:琉球大学保健学部設置 | |
1969 | 那覇市与儀に琉球大学保健学部附属病院完成 | |
1972 | 沖縄本土復帰、沖縄県発足 | |
1976 | 古謝景春帰沖、第一外科講師として沖縄県で心臓血管外科を本格的に開始。 | |
1979 | 琉球大学医学部設置正式決定 | |
1981 | 琉球大学医学部発足 8講座でスタート:(解剖学第一、生理学第一、生化学第一、病理学第一、寄生虫学、内科学第一、外科学第一、眼科学) 琉球大学医学部附属病院設置 |
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1983 | ![]() 草場昭、初代教授就任 開講時医局員(8名) (故)草場昭、(故)古謝景春、屋良勲、(故)喜名盛夫、上里忠興、國吉幸男、伊波潔、池村冨士夫の8名。8人の「サムライ」 草場昭教授は我が国の血管外科学の草分け・先駆をなした。九州大学時代を含めて、琉球大学赴任後も我が国の血管外科学の発展に貢献した。同時に、医局員の動物実験研究の指導を行い、多くの学位研究の指導を行った。主な主催学会としては、日本静脈学会、日本脈管学会総会、日本胸部外科学会九州地方会、日本血管外科学会九州地方会がある。 |
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1984 | 1984年(昭和59年)7月附属病院西原移転・診療開始 | |
1997 | 草場昭教授退官 | |
1997 | ![]() 昭和51年(1976年)、千葉大学卒業後、研究生活、外国留学後に、弱冠36歳で帰沖。以後、沖縄で本格的に心臓血管外科学の臨床を中心に行う。当時、他府県での心臓手術を受けるために多くの患者、家族が苦労していた。多くの県民に福音をもたらした。1983年、第二外科発足に際して、助教授として合流する。以後、臨床・研究を継続し、沖縄県における循環器診療の発展に大いに貢献した。また、沖縄県で多い難病の“Budd-Chiari syndrome”の外科治療について研究し、その成果は国際的に大いに評価され、米国の教科書にも標準的治療として掲載されている。 主な主催学会は、日本血管外科学会総会、日独血管外科学会、日本胸部外科学会九州地方会、日本血管外科学会九州地方会、九州外科 |
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2004 | 国立大学法人化 | |
2005 | 古謝景春教授退官 | |
2005 | ![]() “島嶼県である沖縄県の心臓血管外科治療を、県内で完結する”を目標として、進歩する新しい分野の取り込みを積極的に行ってきた。 心臓移植に関連した人工心臓による末期心不全治療、従来高侵襲である大動脈瘤治療に対してステント治療、大動脈弁膜症に対する弁形成術、末期ASに対するTAVIの導入、低侵襲治療MICSの開始、等。 2006年から病院長補佐、2014年から病院長となり病院経営にも参画する。 主な主催学会は、日本血管外科学会総会、日韓血管外科合同会議であり、2014年の主催予定として、日本静脈学会総会、日本胸部外科学会九州地方会、日本循環器学会九州地方会がある。 |
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2013 | 開講30周年祝賀会開催 | |
2020 | 國吉幸男教授退職 | 琉球大学病院へ名称変更 |
2020 | ![]() |